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芸術についての作文~☆章 [ハラコマテリアル]

土地があって、野菜作りをするとしよう。今季過ごせるだけ十分な量を毎年作っていた。いつしか、出来栄えも良く、自分達では余るだけの量を作れるようになった。じゃー分けてあげよう。何かと交換しよう。そうして、自分以外の誰かに喜んでもらえたり、別の何かを得られることで、お互いに喜びとなる。そんな動きから利益や価値が生まれて、企業・組織・職業なんかが確立されてったんだと考えてみる。

芸術も、宗教的な象徴として正式な形であるもの、自己満足、少数で楽しむ鑑賞・娯楽感覚であれば特に広がることも無かったのでしょう。{上手}か{下手}かで言ったら{上手}から始まり、{出来る}か{出来ない}かで言ったら{出来る}から始まって。
誰かが独創的な感覚を汲みいれて作品として仕上げたことや、誰かが芸術品として評価したことなんかで、他とちがった視点で生活の術ともなった。それは、誰かより少し上手だっただけで評価されることが新たな欲求として生まれたのかもしれないし、生活する上では欠かせない一つの手段だったのかもしれない。

自分も含めて特定の人に向けて作られていたものが、不特定多数に向けられたことで、利益を得られ職業としても成り立つ。
どんなに素晴らしいものを作っても、どんなに評価を得ても本人がこれは商品じゃないと判断すれば商品にはならないだろうし。作り手が求め望む形があって、人々の前に提供されている。

この不特定多数に向けて作られたものも、満足度は変わってくるようで。例えば、私がこれ素晴らしいですねって好き好き言っても満足に値しないだろうし、誰かが買い占めて他の人に知られないならこれもまた満足には値しないのでしょう。その満足の差は生きる術として作品を提供したとき不特定多数を選択したことで、良くも悪くも多くの評価を得られることや、多くの価値を得ることを望んでいるとも言えるから。そして好き好きって言ってくれる人が多ければ多いほどの喜びにもつながる。

芸術は、時代も超えて世界中の人々の感情に触れ、人々を魅了し、動かし、引き継がれてゆく。
ひとつの表現がその人の思想として残されるもの。
他の誰かが、介入し意見し独占できるものではない。
作品に魅了された人ができることは、様々に感じ取り生きる糧とすることや、作り手が望む作品を生む為の道具ともなり、多くの人に伝えられる環境となることや、作品を管理することなんかだと思う。

{林檎は}丸い-赤い-木になる-芯がある-種がある-花が咲く-皮がある-食べる-焼く-煮る-絞る-皮をむく-捥ぎ取る-中は白い-甘酸っぱい・・・なんて感じることや行動することには幾通りもあって。
芸術は、人々が自由に感じて動くことの衝動としての象徴にも値し、その動きは様々な形で多様化し、今では多くの雇用も生まれ発展してきた。

【続】

芸術についての作文~☆章 [ハラコマテリアル]

例えばこの人素晴らしいんです!
って人に伝えて行く中で、そうとは思わない人にも出会うし、良いと言ってくれた人がコロッと違う顔を見せたりもする。誰かの言葉で、あるものが無いものにもなったりする。
既に出来上がった誰かと誰かの関係によって良し悪しも決まる?誰かは強くて誰かは弱い?そんなことが当たり前に積み重なって世の中って過ぎてしまうんだろうか?今後も・・。

生まれてきて、人生の長さも濃度も違うのに、誰かが誰かを左右する権利を持って時間を止めたり延ばしたり操れるなんてね。
なんて不条理な世の中の仕組みなんだろう。
唯でさえ、義務教育という縛りにも殆どの人が20年近く時間を費やして、ようやく これっ!て決めた方向にも遮る壁が存在する。
感性から始まり感覚で受け取る場では、素晴らしいと思ったものを思った人達が時間をかけてでも貫けばいい。

作品に対して、年齢や状況、経験によっても人々の捉え方が変わるなら、作品と出会うことには古いも新しいも関係ない。と思う。
現在のようなデジタル化・グローバル化が今後も日常的に発展して行くなら、これまで意識した数字や誰かの評価を参考にせずとも、自分の好きな声や音も絵も探せる。
いつどこで作品が生まれてもいい。
いつどこで知ってもいい。
世界中で知りえないものの方が多いはずだから出会えた作品を愛し何年かけて楽しむことだってできる。自由な感性で発信されたものを自由な感覚で選択することができる。
そうして、芸術も社会の動きに応じるように、形を変え様々な手法で私達に提供されてきた。

ただ、芸術家として存在した人は、
生きている間に作品を残す必要がある。
そうして出来た作品なら生きている時代に伝えていく必要もある。
更には同じ時代に生まれたのなら、その作品に出会い同じ時を感じてみたい。また当時を一緒に生きれなくても歴史を振り返るような記録物があるだけで十分楽しめる。
だから、作ることも残すことも伝えることもいつだって同時進行だ。

あとは、技術の進歩によってどのような影響があるのか。
作るー欲するという流れから、
何が先かは別としても芸術が商業化し、現在へと発展してきたことで、どのような変化が起きていたのか・・。

【続】

芸術についての作文~☆章 [ハラコマテリアル]


そもそもです、数年前ちょーっと音楽業界におりまして、不束ながらツアーだ、テレビだラジオだ、くっ付いて廻っていた訳です。
数年身を置いて終了しましたが、そこで得たもの見たもの感じたものから、全てを抹消して新境地へ!と行けず。誰に求められるでもなくこうして、ぎりぎり端っこで今を見つめている。

いや、今振り返れば多くの後悔!
この念を晴らすような思いとも言えるのでしょうか。
自分に何がどう出来るもんか!と。後ろを向きたくもなりますけど、解決するとか断定するには時間も必要だし、組織で進む速さの中では考えられなかっただろう様々をバラバラ壊し広げてくっけて自分なりの見解を生みだす。
そんな作業と実験の繰り返しです。

もちろん、あぁー素晴らしいな。
って思えなかったら執着するはずもなく。
アーティスト(芸術)と身近に接する中で、感情に直接触れてくる感覚は気持ちいいし、それを感じ取り共鳴する相手が存在することも素晴らしかった。
ただただ一方的に受け手として感じていた時に比べたらその中間の空間はドキドキのし放題だった。

それでも、組織ってものは、
既に確立されたもの・こと・スピードの中で計画的に、定められた期間の中で動かねばならない(ようだ)。

動かぬ”モノ”が対象だったらどんなに楽だっただろうか。
何度も悩んだのは”人”=”商品”という認識だった。
どうにか割り切る為に、自分の心を消す-大げさに聞こえるかな?
自分のバランスも悪かったから仕方が無いね。
それが一番手っ取り早いと思った。
打ち解けた中で進められるほどの余裕も無ければ、判断できる地位もなかったから。
それに、起こることのだいたいは、良いことか悪いことか判らなかった。そういう世界だと慣れる方がいいのだろう・・と。

身近でもこんなことがあるんじゃないかな。
もし先輩から、
『最初は私も俺もそうだった・・慣れれば、もっと自由に発言もできるし。社会に慣れる必要がある。社会人なんだから!』と。
今ならその時間をかけてでも叶えたいのか?考えちゃうね。
その代償に理不尽に手を汚すこともあるかもしれない。
良いとは思えないまま時間が過ぎていくのかもしれない。
間違った感情のままで、伝えて説き伏せる。
そんなことを経て勝ち得たいものって?何が残るんだろう。

もちろんその中で必死になって得るものがあるのもわかる。
そんな悪いことばかりじゃないし、この素晴らしい世の中を築いてきただろう先輩の話は聞くべきだ。
そうして殆どの事が成り立ってる。
成り立ってきた。

【続】

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新カテゴリー [ハラコマテリアル]

いつもここ覗いてってくれてる皆さんドーモデス。

自由な感覚で原松も進ませてもらってます。
いろいろ日々考えております。
感覚だけで通り過ぎたら簡単なんですけど、
頭で理解する必要もあって。

今なぜ芸術・アーティストに執着するのか?を紐解いています。
これまで、やってきた先生シリーズから学べたことなども反復してみて思うこと。
本が書けるかもしれないぐらい長いんよね。

だから、作文のように幾度か書いてみる。
面白いかはわからんけど暇つぶしになりますか。
なりませんかどうですかーっ[パンチ]
まぁ、あくまでも個人的見解の一部ですけど。

芸術に限らず、
日々思うことやこれまでのこと、未来に向けて。
題して《ハラコマテリアル

カテゴリーは、本の中の目次のように、古いも新しいもいつでもまた覗いてって下さいまし。まし。
そのうち村松さんのコーナーも登場します!!

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