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このまま時を進めることを考える [ハラコマテリアル]

2012年12月29日
仕事納め日

さてさて、
パソコンを消失(廃棄)してからしばらく経ちまして、音楽との接触が少し減ったかな。
インターネットで浮遊してあれこれいろいろ聴く事が減ったかな。
あの、白い箱(HD)には何曲も入っているのに、放置されている。どうにかして吸い出したい。
あれ?CDそのものにも触れていないんじゃないかな?枯れそうですよ!
ただ、音楽を聴くだけなら苦労しないと思うんですけど、聞いた曲をプレイリストに残すことも役割の1つと考えている。記録できるアイテムを活用するのが大前提。

そんなこんなで、PC無いことにはどうにもならんことがわかったので、致し方なく従事場まで箱を持ち込んで繋げて入れて繋げて作業を開始したわけです。

そして、作業してから思ったこと、いっぱいあります。

日本の音楽、曲多い~!
アルバム出しすぎなんじゃ~ん、
なんか、あれこれフォルダ多すぎ~、
アーティスト名の表記がカタカナ、漢字、英語、分かれすぎ。
ジャンル分けも、まとまってないよー!
勝手に分かれるフォルダには1曲しか入ってないものもあるぞぃ
ボーナストラックなんてタイトルすら表記されないし、ふざけてる!
アルバム単位でフォルダ分かれた方が良いんじゃないかね?(そういうのもあるけど。)
10分以上の曲になると重いし、幅取りくんじゃないか!
もう、マッシュアップでいいんじゃない?
元々、何かに集約されていくことを想像して作られてないんじゃないか。(特に邦楽)
ひとつの作品がひとつの記録として完璧にパッケージされていないようだね。
今ですら、こんなに膨大な曲を今後どのように管理できるというのか。
コレまでの曲を、コレからの人も、その時の同時代の曲と共に愛してもらえるのだろうか。
こんな感じで。

サイズや項目・分類なんてCD以前のときなんか全然気にしなかった。
買ってきた商品を開けてオーディオでON。
それだけで良かった。(故にプレイリストを公開共有することもしなかった)のに、

端末の残りの領域がこんだけだから、もう入りきらないから長い曲カットしよう!とか短すぎるのをカットしよう!とか、タイトル解らないのはOUTだ、容量オーバーだから削除して、まだ余裕あるから追加して、そんなことまで考えが及んでしまい・・・そしてこれが簡単にできてしまう。

1曲ができあがる過程を考えれば、作物が根を張り実が為るような相当な時間や労力で、いろんな人のいろんなんが込められて作られているのにー、簡単にIN&OUT。
はぁ、恐ろしい感覚になりそうだよ。
CDからデータ転換の良いところも勿論あるし便利やし作っている人のチャンスも広がっただろうけども。このまま時を進めて、聴く人にとっても造る人にとっても幸せで愉快で豊かな感じでワクワクしていられるだろうか。

ある意味、端末を消費者が個々で持つことにより、パッケージする作業が客へ委ねられた感じもあって、これはなんていうか業界は諦めてしまったのかぃ?
私らは切れ間なく提供されたままに変化を受け入れてもいるけれど、パッケージ作業が移行しましたのでお好きにどーぞ!ってことにも安易に慣れてしまって、つまりは、単純に聴いて愉しむ☆!それだけで良かったのに、そういう単純さが増えるどころか作り手のような作業も多くの人の時間に割り込んでいって、もしかすると一見楽ちんなんだけど今までには無かった負担かもしれない。
聴く人は、提供された完パケ作品そのものを聴いて、感じて語らい作品の可能性を広げて繋げてくれていたんだけど、そういう時間の余裕は与えられているかな?

今後、ソフト・ハード開発がどのような意識でつくられていくのか?
どのように制作して提供してゆくのか。
どのように選択して受け取れるのか。

きっと、ここまで時を進めた音の世界では耳の良い人なんて、ごく一部しか残らない、
真に質を追求してるとは思えないからだ(ごめんなさい)、大半は耳の感覚も悪くなってゆくんじゃないかなと想像する。
もし、ただ追いつけ追い越せって作られるモノを作品として提供されるならば、その{モノ}に対して人々は何も感じなくなってしまうんじゃないか?と。
質より量を追及してしまった結果、このあとも量を追うしかない、
人間の時間は限られているからね。
だからどのように価値に差があろうと量を沢山聴くためなら、目の前に出されたどんな方法でも得てゆくしかなくて、それが生産者を疲弊させることになっても食らいついていくしかない。
そんな状況かな。

今、音楽業界的にも音楽の在り方としても、危険ゾーンへ突入しているのか、救済ゾーンへ向いているのか、現時点でどう判断する人が多いかな??

日本はアーティストのサイトを開いて見る段階で警告まで出すようになっちまったよ。
音楽は危険かしら?
厳重に鍵をかけて、その鍵穴に合う鍵を持っていないと楽しめなくなりそうだわ。
過去から含めても邦楽は膨大に制作されているにも関わらず、今の時代に生きる世界中の人への出会いすら狭めてしまっている気がしてならない。
小さい小数の頭の中でのターゲットなんか関係ない、全世界の人々の為に!でいいんだな。
狭めているのに、それでいて売れない売れない!ってアーティストをずんずん走らせる。
守りたい、売りたい、欲の果てにどんなことになるんだろうか。
みんな!(アーティストさん)疲弊しないでおくれよ。
間のシステムが崩れても、組織が崩壊しても、アーティスト【作り手】が消失しないこと。
この心配も、大袈裟な話だ!って笑われるくらいが丁度良いんです、
笑ってそんな心配要らぬと一蹴りしてください。

シンプルに作り手と受け手がいて互いに幸せに繋がれるならそれで良くてですね、
そこからスタートして必要なものを探りながら追加していっても良くて、
どの道具をどのように使うかは自由なんです。
道具、いっぱい増えたでしょ。
人間の時間なんて限りあるのに限りもわからなくてさ、その上、人間生活でやらなきゃいけないようなことが増えてて、どうやって時間に組み込んでいこうか?ってところに娯楽のような部門は割り込んでいかねばならない。
あってもなくてもいいだろうけど、在る事で豊かになります、心身が!確実に。

音楽に限ったことでなく、様々に生じる人間問題は、これまでも今も、その分野に人生懸けてる人達で手を携えて改善するしかないと思う。
見える相手だけじゃなくて、見えないところにも伝わることの意味があるはずよね。
手探りで遠いまんまだったかもしれないけど、解り合える可能性も増えてるよね。
丁寧に伝えることとか、伝わっていることを受け止めるとか、明確に繋がるそういう意識があれば、量に拘らなくても良かったかもしれないよね。


【こんにちは日本です!日本の音楽いかがですか!】

どーぞ召し上がれ!
いただきます。
ご馳走様。美味しかったよ。また来るよ。
あぁ、そう思ってもらえて良かったな、また創ろう!
そーいう感じ。(音の循環による発展)




芸術についての作文~☆章 [ハラコマテリアル]

前からご存知の方も、最近の方も、おられるでしょうから。

<ざっくりプロフ>
成人人生、だいたいアルバイト生活です。
社会の役に立っているのか?と言われれば、末端でバタバタしてる程度と思います。
社会の一員としては、数年記録があります。
(これは社会保障の記録という意味で。)
これは一生の仕事だな!
と、思ったのは2003年より勤めた音楽業界。
(でも、これは社会的に記録に残りませんでした。)
まったくのド素人でしたが、事務として兼マネージャーとして
殆どの時間を労力を捧げる思いで、
日本もあっちこち行き来し、自分なりに奮起して参りました。
ある日、ある時、
社長逃亡により、職務・組織への不信感がつのり責務と思えなくなり、
約4年で退く。短い。
その後、普通にアルバイトを点々として、今に至ります。
時間を情熱を注ぎ、責任も取れると感じる仕事がないこと、
社会とつながるという意味と、最低限の生活の為であればバイトで充分と思って。

原松マガジンは2008年2月より開始しました。
お付き合いのあったアーティストさん、
お気に入りのアーティストさん、
などの情報を発信したり、ファンとして見守っております。
たまに、企画もします。
音楽業界に僅かながら身をおき、
その間に、感じたことなどを元に、外側から発信をしている。
そんな感じです。

+++++++++++++++

急ではありますが、
以前より気になっていたこととして(ライブハウス)をテーマに。
アンケートを取ってみよう!と用意していた内容がありました。
その後、すぐ震災があり、
節電などの影響からライブハウスも営業を自粛するような動きがありました。
それどころじゃないよな。と一時保留というか、放っていました。

でも、震災後は、以前とやはり違う社会で、空気が全く違うわけです。
様々な方面で考えなければならないことが目の前に押し寄せる。
大地が、人々が脅かされるということ。
そして、企業が組織が、そういった脅かす側の立場として、頑なな姿勢で提供し続けること。
課題となるのは、組織と個人。

私も、多くを知っているわけではありませんが。
音楽業界も、歴史を経て変化してきましたね。
経営上、赤を黒にする為に、アーティストが犠牲になることも多かったのではないか。
原産となるアーティストがいて、そこから放出されるエネルギーが商品化される(モノになる)。
モノになるから気付かれないのか?わからないけれど、
野菜や米で言えばアーティストは大地を示し、無ければ生まれないものなのだ。
事務所に入り、商品が人間から成ることの、どう理解するかを悩んだものです。

組織維持を継続すること、
組織を大きくすることに意識が向くと、様々な意味で麻痺してくるのかもしれない。
どのように守り、何を維持し、何を増やし減らすのか?という観点。
これまで、テクノロジーの発展に押されて、
作品も随分形を変えて世の中に輩出されてきました。
レコードからデータに移行される途中において
音楽が停滞する、という状況を生んだのは
創造者、提供者、消費者と大まかに分類した場合
上手に循環しなかったのか、
どこかしら偏った滞ったのか、
連携がうまく取れていなかったのだろうか。
停滞を知りつつ見過ごしてもいられない訳で、
見つめ直す時期が、いつかは来る訳です。
活気を取り戻し、後世にも引継がれる要素として繫ぐ必要がある。
必要がある、と思うのは、音楽そのものが残る意味が絶対的であるから。
これは、運営する会社が残ることの意味よりも断然大きい。

人が表現する姿勢を、目の前に見せてくれることで、
多くの、喜怒哀楽の見本にもなるし、
人から人へ伝わるものなので、五感で感じること以上の教養となる。
表現するエネルギーは、素晴らしい産物です。
なくなっては困るモノのひとつ。

まず、商品の産みどころは人間に在るのだ!と再認識すれば、
素質を持った人間そのものが資源となる。
時代の変化があろうとなかろうと、
その素質が活かされる環境を整えるとか、
あらたな価値を見出して、形を残す方法を選択できるように提示をするとか、
生み出したい、作りたいと思わせる意欲・環境づくりとか、
素質そのものを持つ人間を大事にしようと思うはず。

会社にとっての商品を長く愛し、改良開発していくという意味でも、
それぞれの素質・土壌に合わせた関係性の構築が必要じゃないかと。
その関係性を飛び越えて、経営のみを重視すれば、素質の重要性も見過ごし、
更には、会社箱の中で関わる内側の人々や、消費してくれるお客様でさえ、モノ化してしまう。
今の時代が、そうさせたのかもしれないけれど、
組織は事業を進めていく中で、
素質を上手に活かせる術をもたないまま、手を広げ過ぎたのかもしれない。
それに伴い、消費者も求め過ぎたのかもしれない。
商品が、より多く市場に出回ることが重視されてしまったのかもしれない。
そして、著作権を管理する組織に、融通の良い権利法の存在も無視できない。
法のことになると、まだ勉強が足らず難しいけれど。
誰にとって守られるべき著作権法なのか?って追及はしてもいいはず。
決まっていることだとしても、変えられることもあるのだから。

一般の会社員の方は勤続何十年、何事も無ければ続けられるし、
社会的保障も受けられるし、生活環境が整い家庭をもつことも不自由ないだろう。
アーティストは、契約期間があり、そのなかで実績を残す必要がある。
スポーツ選手の契約とも似ているでしょうけど、年俸制では無いだろうから、
所属する事務所の形態などによりけり、収入ベースも違う。
ただ、成功し維持できれば、一般レベルから大きく飛躍する。
そうした博打的な要素が含まれた世界なら
尚更、お互いに条件を提示したり契約時に慎重に理解しあう場面も必要だし、
そうした双方の責任として進めることで成立する。
また、契約の見直しや更新することにおいても
お互いの向上も含めて理解を深める必要がある。
でも多くは、会社と会社の契約の外側にアーティストがいて、
本人は未成年だったり、
著作権や契約内容も、あまり理解しないままに、事が進む場合が多い。
と、認識しています。今もそうかな?

会社が一月、一年、周期的に経営を続ける枠組みのなかで、
時代の流れに翻弄されながら、
常識を常識として受け入れる、という流れが出来てしまっている。
私の居た小さな箱の中でさえ、矛盾は多いまま時が過ぎた。
自分は、その中で追及しきれなかったし、開花を手伝う術も学べなかった。
社会とは、こういうものか、と受け入れて流すことが普通なのだと思わせられた。

震災後、いろんな場面で、今までの考えに疑問を持ち、
果たして継続させるに等しいのか?と追及する社会の流れがある。
音楽の在り方、音楽に携わる関係各所の在り方も見つめ直す機会かもしれない。
革めて、アーティストと組織の関係を構築する機会。

そして、
時に、驚きや落胆を人々に与える、事件や事故や不注意を招かないように、
日ごろの注意・配慮も怠らないでいてほしい。
時に起こる、急な悲しみを、多くの人々に与えないように、
自身の身体を守り、守られることの意識向上として、
健康管理が充分に行われる環境づくりを広めていただきたい。
酒・煙草・ストレス・薬、、、
その人の生き方だとしても、一度見つめ直してもらいたい。
それが、ロックだ!と主張できたのは昔の話しだ。
人間的にも、一歩先へ進めていかないとならない。

今ある身体で、できることは限られている。
それぞれの感じる音楽を響かせ、残して、長く広く感じてもらえるように。
日本の音楽が、もっと世界へも広がり愛聴される曲が増えるように。


少しづつ、問題提起していければと思っています。



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無 題の野 望 [ハラコマテリアル]

久しぶりに、コチラのカテゴリーで書きますの。

原松の考えていることで実践できていないこと、は沢山あって、
それは、単純にお金がナイのだから~。

でも、いつか!を夢見るパトロン志望。

例えば、そのー、
最初は、原松マガジンっていうくらいなので、雑誌・本・フリーペーパーなどを考えていて、
アーティストさんの取材だとか写真だとか記事をまとめて、ポストカードのような形の本作ろうと思ってました。

それで、アーティストさんに半値くらいで買ってもらって、ライブやらで好きな価格で売ってもらって、その売上をそのまんま活動費にしてもらおう!
こちらは紙代だとか、かかった費用だけ戻ってくればいいかな!って発想でした。

手作り感覚で考えていたので、プリンターが必要だな、あれもこれも必要だななんて言ってる間にどんどん時間も経ちました。
それで、今です。


そのうち、企画をしてその収益をアーティストさんの活動費用にしてもらおうと思って
ジャック先生とかやってみました。
企画としては、改善すべきことは沢山あるけど、面白かったし、場所を借りたり機会があればやりたいと思っている続行中の企画です。(自分の中では・・)

まずは、人を呼ばないといけませんでした。。
最大の問題ですけど、地道さの継続でクリアできるとは思いました。
まぁ、でもなかなか、バックをお渡しできる状況ではなかった訳です。
自分もなかなか余裕ができる環境にないのです。
それで、今です。


ジャック・ザ・ムービーでは、初の自主上映でした。
何から何まで初試みでしたが、企業と関わること、つまり決まりごとに則って!ということの関わりに挑戦した訳です。
映画自体に惚れてしまったので、DVDを購入して場所を借りて、上映費用を支払って、払ってばっかりの企画でした。が、面白かったのでまたやれたらいいな!と思っています。


そして、このような方法で
例えば、アーティストのライブやトークショーや作品なども、DVDのデータさえ入手できて上映許可を得られれば、鑑賞会という形で入場料を発生させて上映費用をお返しする。
ご本人のスケジュールが合わずとも、そうした形で得た利益を活動費用にしてもらう、ということも考えました。
スタイルができれば、全国各地で一定の条件を設けて実施することは可能だと思いました。
時間や都合で、その日その時を逃すことは多いですから、上映企画者がいるならば、方法をお教えして賛同者を募ってもらい、作品を感覚を体感するということを、実施することによって、アーティストに上映料をお返しする。

大概、想像させることまで力が及ばなかったり、事務所や表現者自身のスタンスとして不向きだったり、一切関与しないということ、ファンが自主的に行ったこととしてならばOKなどのご返答を頂き、もう少し練る必要があるなと思いました。
それで、今です。


そして、日々音楽の在り方を考えるわけですが。
時代の変化ということも影響を大きく受けますが、
生まれ創る人は人からですし、それを受け聴くのは人です。
創る手法、伝える手段、間に入る人やモノによって、変化が絶えないという歴史が続いている。


CDを買う、
ライブを観る、
関連商品・グッズを買う、
ファンクラブに加入する、
情報を人に広める、

そうした支え以外に何があるかな?と考えていました。
運の良い事に、
インターネットの普及により、アーティストのスタイルも多種多様になりました。

last.fm のサイトはお気に入りで、聴いた曲のプレイリストを保存してUPしてくれる。ランキングや似ているアーティスト、イベント情報を知ることができて、お友達も作れる。

また、Hype Machine のサイトもお気に入りで、すぐに視聴できて、フェイバリットソングをハートでポチッとするとツイッターにも反映してお知らせできる気軽さと、last.fmにも連携してプレイリストに保存できるってのがいいね、いいねと思うところ。

そんなこんな、プレイリストから何らかの対価をプラスアルファとして、アーティストさんにお返しする。
古いも新しいも関係ないし、アーティストさんが存在していなくても聴く人は聴く。
聴くことで、毎回得られる事のほうが多いし、それが日々のエネルギーとなっている事に感謝を示すべきではないかな?そういう恩返しもあっていいんじゃないか?と。

レコードやテープからデータへ移行したことで、個人で聴いていることが残せるようになったんだ。
これは、売れているランキングとも、また違った形でアピールすることにもなるだろう。
新しいモノだけでなく、歴史として記録されることで、音楽の深まりが増す。
それは提供者だけではなく、ファンの存在があるから可能なんだよなー。と。

まだまだ、世に出ていないアーティスト、地方で盛り上がってる上昇中のアーティスト、少し陰りのあるアーティストにとっても、聴いてくれるという存在があることで、更に活動が元気になることへも繋がる、そうして素材に感謝をお返しするシステムがあってもいいんじゃないかな。って。

で、シンプルでもいいので、日本のアーティストに特化したサイトとしてプレイリストサイトが作れないかな?と探って探ってみたわけです。
まぁ、ネットの中のことは、あんまり知らないので、、、
漠然とした案は愕然と打ちのめされた。
一千万以上はかかるだろう。
著作権の問題があるだろう。
まぁ、そうですよねー。

そうこうしてるうちに、マジックディスク⇒http://www.magicdisk.jp とか、こういう繋がりも可視化できるのかーと感動したり。
出来る人は創るよなーと。

なので、機会ができたら、やってみたいことをサバサバと書いてみました。
誰か、アイディ案を買ってもいいですよ(笑)

いつか、叶う時が来るかもしれませんしね。

そんな、今です。
今は、いま出来ることとして表現者の情報などを発信し、
そして日々の楽しみを、感じることを養って、さらに豊かな心でいられますように、日本人ファイト♪です。

原松マガジンも応援させてくださいませ。




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震災について ~表現者各位~ [ハラコマテリアル]

震災から一週間を過ぎ、日々のつぶやきは、継続してこちらでも反映されているのですが
毎回同じようなこともぼやいているし、感情的なことも含まれていたと思う。
見ていただいてる方のそれぞれの思いもあるでしょう。
心を阻害していたら申し訳ない。


今日、朝、ばーーーっと思ったことのつながる早さを、感覚を、思いのまんま記します。
作り話と思っても構いません。

朝、外出の準備をしながら思い出したことがあります。
チャールズ・チャップリンです。

チャップリンは、戦争の最中でも
人々の前でブラック・ユーモアを交えて笑わせていた。
非難も当然あるなか、彼は彼なりの表現で、人々の心を取り戻そうと必死だったのではないかと思える。
そうだ、これを伝えるべきだ、多くの表現者に!
と、どのように伝えるべきか構想を練りながら
LISMO WAVEで、福島FMをセットすると流れてきたのはマイケル・ジャクソンで、
もう終わりの1分も聞けなかったけれど、
じーんと泣けてきて彼の声は本当にすごいんだなーと感じた。

それで、チャップリンとマイケルを頭の中で交互にしていて
そういえば!とツイッターのチャップリン.bot(C_Chaplin_bot)を何気に見るとリツイートされた、
【SMILE:Michael Jackson】を、見つけた。



少し前にツイされていて完全に見過ごしていた。
そしてチャップリンとマイケルのつながりに、興奮している、今、自分。
これは、益々伝えることの意味がある。
そうだ、やっぱりこれだ!


原松はパトロン的感覚で、
表現者は人間にとっても必要な人的資源であること。
芸術的性質独特の要素であることを勝手に推奨している。

この災害で多くの人が喪失感を抱えているし、
余震や日々の情報から消沈している。

表現者を推奨する所以は、人間本来の喜怒哀楽を取り戻す力になること
これまで事実上、保たれている秩序も今後どのように変化するかわからない中、
あらゆる表現方法は、人道を選択する意識を維持できる問いかけにもなる。
ギリギリのゼロのメモリでもいい。
マイナスに傾いてしまったら災害以上に深刻な問題が起こりうる。

現時点で、動くべき人が各々の現場で任務を遂行している。
思いを託して一人でも多くの命に希望を持ち
更には、生きている我々に
一日でも早く人間らしい生活環境が戻りますよう
沢山の人間の力を信じようと思う。



つきましては、表現者の皆様
思いのまんま今を表現していただきたい。
くっついたり、離れたり、まとまったりしながら、思いのまんま。
善し悪しも、様々でしょうけれど。

そして、これは日本の問題点:著作権権利
このような災害時に、
より多くの人に伝えるフリー素材は少なく権利を持ったラジオ局は強いなと思う次第。
海外サイトでは、多くのフリー素材がツイッターやフェイスブックで簡単にシェアできる物が多い。

その点、権利問題を多く抱える日本は、
より多くの人にどのような場面でも気軽に伝わる素材は圧倒的に少ないと思う。遠回りが多い。

これは関わる方々、利用者の連携で、今より少しでも壁を越えた環境を未来にも残す!
という課題にもなるんじゃないかと思う。


今、できることの可能な限りの素材を提供していただき、多くの人々に伝わることを願います。そして、広めることの役立てに少しでも参加できればと思う。

自分の思いのまんまという割には長文になってしまったぜ。
今後も、よろしくどーぞ。
よいしょい!


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芸術についての作文~☆章 [ハラコマテリアル]

さて、久しぶりにマテリアル更新しちゃう。

ず~っと、アレやコレと日々ぼやき、こんなことしたい!が、明確になってきた訳で、それをどんな形に仕上げていこうかな~と思案しております。もしかしたら、構想を練って形にする、どのように見て感じてもらえるだろうか?と想像することは、自分も少なからず表現していることになるのかな。

できれば、組織とか団体とか(固)たる物でなく、(個)でインディーズNPOみたいなパトロンになりたい。←なんだろう?これ??

数年間ずーっと根本にある思いは、今の所変わらずにある。
多くの人々の幸せを考えた時に、表現者の存在は欠かせない。
目の前の作品を観たり聞いたり触ったり感じたりする事で、少しの記憶でも印象に残れば、日々の糧にしていたり、心が喜んでいられる。活力となって生きることの強みになる。
表現活動の広がりは、人々の心の豊かさにつながり、多くの人々の幸せにもなるだろう。その仕組みを強固な形にするには、まずは表現活動をしている人が幸せになることから始めてみようか。そこからいろんな発展によって、結果として沢山の人々が豊かさを感じ得られ、幸せになればいい。


日々、耳にする残虐で、馬鹿らしくて、物騒な世の中の情報。なんとも生きにくい。そうした事象の切っ掛けには、{感じる}ことの乏しさやバランスによるものが多いように思う。
人の心根が養われて、感情の循環が上手に整えば人間の質が向上する。単純に残念だなってのが減るんじゃないかな?と思う。目先の目標としては人が人を殺める行為が減少すること。その先の地球の平和。おっ、こりゃ大きく出たもんだぜ!!


でも、ほんとそう願います。
生きている間に結果が見れないであろう実験の試みは、もしか生まれ変わって何年後かで人間になった未来を楽しもぅかな~、なんて。今、何かしらの基盤ができて、継続された暁には未来も明るい☆と願って。
今ある幸せは過去から引継がれていると感謝する。

そして、今地球の中、日本人でいることも多くの意味があるように思う。惨い結果で敗戦した歴史を持つ国、ここにいて、戦争の無意味さを発信する必要性を十分に感じる、戦争の経験の無い国と共に、平和で在り続ける幸せを日本から世界へ、みたいな。
だから、まずは日本人が幸せであってください。

こうした考えのもと、芸術文化を推奨することと、表現活動(者)への敬意は、人々の幸せにつながると思っています。
さぁ、いろいろ実験をしよう。

そんな感じで今日はここまで。【続】

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