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芸術についての作文~☆章 [ハラコマテリアル]

前からご存知の方も、最近の方も、おられるでしょうから。

<ざっくりプロフ>
成人人生、だいたいアルバイト生活です。
社会の役に立っているのか?と言われれば、末端でバタバタしてる程度と思います。
社会の一員としては、数年記録があります。
(これは社会保障の記録という意味で。)
これは一生の仕事だな!
と、思ったのは2003年より勤めた音楽業界。
(でも、これは社会的に記録に残りませんでした。)
まったくのド素人でしたが、事務として兼マネージャーとして
殆どの時間を労力を捧げる思いで、
日本もあっちこち行き来し、自分なりに奮起して参りました。
ある日、ある時、
社長逃亡により、職務・組織への不信感がつのり責務と思えなくなり、
約4年で退く。短い。
その後、普通にアルバイトを点々として、今に至ります。
時間を情熱を注ぎ、責任も取れると感じる仕事がないこと、
社会とつながるという意味と、最低限の生活の為であればバイトで充分と思って。

原松マガジンは2008年2月より開始しました。
お付き合いのあったアーティストさん、
お気に入りのアーティストさん、
などの情報を発信したり、ファンとして見守っております。
たまに、企画もします。
音楽業界に僅かながら身をおき、
その間に、感じたことなどを元に、外側から発信をしている。
そんな感じです。

+++++++++++++++

急ではありますが、
以前より気になっていたこととして(ライブハウス)をテーマに。
アンケートを取ってみよう!と用意していた内容がありました。
その後、すぐ震災があり、
節電などの影響からライブハウスも営業を自粛するような動きがありました。
それどころじゃないよな。と一時保留というか、放っていました。

でも、震災後は、以前とやはり違う社会で、空気が全く違うわけです。
様々な方面で考えなければならないことが目の前に押し寄せる。
大地が、人々が脅かされるということ。
そして、企業が組織が、そういった脅かす側の立場として、頑なな姿勢で提供し続けること。
課題となるのは、組織と個人。

私も、多くを知っているわけではありませんが。
音楽業界も、歴史を経て変化してきましたね。
経営上、赤を黒にする為に、アーティストが犠牲になることも多かったのではないか。
原産となるアーティストがいて、そこから放出されるエネルギーが商品化される(モノになる)。
モノになるから気付かれないのか?わからないけれど、
野菜や米で言えばアーティストは大地を示し、無ければ生まれないものなのだ。
事務所に入り、商品が人間から成ることの、どう理解するかを悩んだものです。

組織維持を継続すること、
組織を大きくすることに意識が向くと、様々な意味で麻痺してくるのかもしれない。
どのように守り、何を維持し、何を増やし減らすのか?という観点。
これまで、テクノロジーの発展に押されて、
作品も随分形を変えて世の中に輩出されてきました。
レコードからデータに移行される途中において
音楽が停滞する、という状況を生んだのは
創造者、提供者、消費者と大まかに分類した場合
上手に循環しなかったのか、
どこかしら偏った滞ったのか、
連携がうまく取れていなかったのだろうか。
停滞を知りつつ見過ごしてもいられない訳で、
見つめ直す時期が、いつかは来る訳です。
活気を取り戻し、後世にも引継がれる要素として繫ぐ必要がある。
必要がある、と思うのは、音楽そのものが残る意味が絶対的であるから。
これは、運営する会社が残ることの意味よりも断然大きい。

人が表現する姿勢を、目の前に見せてくれることで、
多くの、喜怒哀楽の見本にもなるし、
人から人へ伝わるものなので、五感で感じること以上の教養となる。
表現するエネルギーは、素晴らしい産物です。
なくなっては困るモノのひとつ。

まず、商品の産みどころは人間に在るのだ!と再認識すれば、
素質を持った人間そのものが資源となる。
時代の変化があろうとなかろうと、
その素質が活かされる環境を整えるとか、
あらたな価値を見出して、形を残す方法を選択できるように提示をするとか、
生み出したい、作りたいと思わせる意欲・環境づくりとか、
素質そのものを持つ人間を大事にしようと思うはず。

会社にとっての商品を長く愛し、改良開発していくという意味でも、
それぞれの素質・土壌に合わせた関係性の構築が必要じゃないかと。
その関係性を飛び越えて、経営のみを重視すれば、素質の重要性も見過ごし、
更には、会社箱の中で関わる内側の人々や、消費してくれるお客様でさえ、モノ化してしまう。
今の時代が、そうさせたのかもしれないけれど、
組織は事業を進めていく中で、
素質を上手に活かせる術をもたないまま、手を広げ過ぎたのかもしれない。
それに伴い、消費者も求め過ぎたのかもしれない。
商品が、より多く市場に出回ることが重視されてしまったのかもしれない。
そして、著作権を管理する組織に、融通の良い権利法の存在も無視できない。
法のことになると、まだ勉強が足らず難しいけれど。
誰にとって守られるべき著作権法なのか?って追及はしてもいいはず。
決まっていることだとしても、変えられることもあるのだから。

一般の会社員の方は勤続何十年、何事も無ければ続けられるし、
社会的保障も受けられるし、生活環境が整い家庭をもつことも不自由ないだろう。
アーティストは、契約期間があり、そのなかで実績を残す必要がある。
スポーツ選手の契約とも似ているでしょうけど、年俸制では無いだろうから、
所属する事務所の形態などによりけり、収入ベースも違う。
ただ、成功し維持できれば、一般レベルから大きく飛躍する。
そうした博打的な要素が含まれた世界なら
尚更、お互いに条件を提示したり契約時に慎重に理解しあう場面も必要だし、
そうした双方の責任として進めることで成立する。
また、契約の見直しや更新することにおいても
お互いの向上も含めて理解を深める必要がある。
でも多くは、会社と会社の契約の外側にアーティストがいて、
本人は未成年だったり、
著作権や契約内容も、あまり理解しないままに、事が進む場合が多い。
と、認識しています。今もそうかな?

会社が一月、一年、周期的に経営を続ける枠組みのなかで、
時代の流れに翻弄されながら、
常識を常識として受け入れる、という流れが出来てしまっている。
私の居た小さな箱の中でさえ、矛盾は多いまま時が過ぎた。
自分は、その中で追及しきれなかったし、開花を手伝う術も学べなかった。
社会とは、こういうものか、と受け入れて流すことが普通なのだと思わせられた。

震災後、いろんな場面で、今までの考えに疑問を持ち、
果たして継続させるに等しいのか?と追及する社会の流れがある。
音楽の在り方、音楽に携わる関係各所の在り方も見つめ直す機会かもしれない。
革めて、アーティストと組織の関係を構築する機会。

そして、
時に、驚きや落胆を人々に与える、事件や事故や不注意を招かないように、
日ごろの注意・配慮も怠らないでいてほしい。
時に起こる、急な悲しみを、多くの人々に与えないように、
自身の身体を守り、守られることの意識向上として、
健康管理が充分に行われる環境づくりを広めていただきたい。
酒・煙草・ストレス・薬、、、
その人の生き方だとしても、一度見つめ直してもらいたい。
それが、ロックだ!と主張できたのは昔の話しだ。
人間的にも、一歩先へ進めていかないとならない。

今ある身体で、できることは限られている。
それぞれの感じる音楽を響かせ、残して、長く広く感じてもらえるように。
日本の音楽が、もっと世界へも広がり愛聴される曲が増えるように。


少しづつ、問題提起していければと思っています。



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